昭和スウィング史

カキン!カキン!スカッ!スカッ!カキィーン!
体調悪いのに、否、体調が悪いからこそ!バッティングセンターでバットをブンブンと振り回して来ました。
「あれ?普段健康な時にも滅多に振らないバットを振り回したりして、もしかして風邪じゃないの?」と自分に思い込ませる安直な自己暗示的療法ですが、その類は『自己暗示を否定する自己暗示』の傾向が強い僕にとって、いつもあまり効き目なく候。


ふと『バッティングセンター』の歴史について知りたくなり、Google先生の力を借りてせっせと調べてみたものの、なかなか詳しいページが見つかりませんでした。

1965年に東京墨田区錦糸町に日本初のバッティングセンター「楽天地バッティングセンター」が誕生した。

というログを見つけたものの、一方コチラのページでは、

昭和39年 東京・江東区楽天地での施設が第一号
昭和40年〜41年 爆発的ブームを迎え、41年には、全国で約3000センターの開設
昭和42年 約600センターに激減している。
昭和51年 第二次ブームの到来、約400センターの新設で全国約1000センター 以後、毎年20〜30センターの開設・廃業で推移している
昭和61年 第三次ブームで約200センターの開設。
平成08年 全国約800センター。

『1965年(昭和40年)』『1964年(昭和39年)』と、開設が1年違ってる。場所も『墨田区』『江東区』で違う。 現在の『楽天地』の住所を調べると、『東京都墨田区江東橋』なので、推測ですが江東区より墨田区が正しいのかも。まあ隣り合ってるから、どっちでもイイか。それよりもバッティングセンターの数の推移に注目。初開設から2年で3000まで増え、翌年には600に激減。減り過ぎ。


同様に、昭和を飾ったブームというと『ボウリング』が思い浮かびますが、バッティングセンターにも「さわやか律子さん」みたいなアイドル的存在がいれば、もう少しブームは長く続いたの?などと思いました。ミニスカートで颯爽に、見えそで見えないフルスウィング。
ついでにコチラも軽く検索してみると、バッティングセンターへの無関心さとは比較にならないほど出るわ出るわ。ボウリング資料館なんてモノまで発見。詳しい歴史はコチラのページで。

日本で最初のボウリング場は1861年、6月22日江戸時代に長崎県にできました。

145年前。古っ!文久元年。出島だ出島。バッティングセンター同様に、施設数の推移とか知りたかったんですけど、予想よりも遥かに長い歴史があったので、敬意を表してもうイイです。もうそろそろ面倒になってきました。


次回の『That's学』コーナーでは、『超流動ヘリウム2』についてお送りします。
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