春一番が吹いた日

自宅の近所に、一軒の小さな定食屋がある。幼少の頃からある行きつけの店で、馴染みも馴染み、20年以上の付き合いになる。メインの定食はもちろんのこと、つまみ類なんかも美味しく、数年前からは、夜にちょっとつまみを頼んで酒を呑み、最後に定食を頼むというのがお決まりになった。


料理が美味いだけではなく、店主のオヤジさんがとても良い人で、その人柄もまた魅力の1つ。帰ろうとすると、「もう帰っちゃうの?ゆっくりしていけばいいじゃない」とか、「もっとご飯あげようか?」とおかわりをくれたり。そういや子供の頃には、あんなことして遊んでたねぇ、なんて昔話が飛び出して、赤面するなんてこともしばしばあった。そして店を出る時には、どんなに忙しくても決まって「またよろしくねー」と声をかけられた。


3年ほど前のことだったか。オヤジさんの姿が見えず、厨房には店を手伝っている息子さんが1人、忙しく動いていた。聞けばオヤジさんは、病気のため入院しているとのこと。その後お店に戻って来たオヤジさんは、以前と変わらず仕事をしていたが、その姿は痩せ細って見えた。しかし僕の心配をよそに、本人は結構元気で、「癌で胃を切っちゃってねぇ」なんて苦笑いしながら、前と変わらずに厨房に立ち、包丁で小気味良いリズムを刻んでいた。
その後も治療のためにお店にいないことが度々あったが、次に行ってみた時には、オヤジさんの体は少しずつ痩せ細ってはいたものの、ちゃんと厨房に立ち、そして帰り際にはいつも同様、「またよろしくねー」と笑顔で見送ってくれた。


そして先週の週末。お店に行ってみたら、『都合により休みとさせて頂きます』という張り紙がされていた。その時点で悪い予感がしたのだが、今日、オヤジさんが亡くなったことを知った。
耳に残る、オヤジさんの「またよろしくねー」という声が聞こえてくる気がした。でも、その「また」は、もう永遠になくなってしまった。


思い出した。そういえば、最後にお店に行った日、つまりオヤジさんに最後に会った時、ガリガリに痩せ細ったオヤジさんは、僕の帰り際、「またよろしくねー」とは言わなかった。ただ目を合わせて、弱々しい笑顔を向けただけだった。


長年のご飯無料おかわりへの感謝を込めて、合掌。