チャリーズメモリー・後編

かくして僕はズザザザザァー、という感じでコンクリートと荒々しく触れ合いました。多分距離は1メートルもなかったとは思いますが、本人にしてみれば、この顔面滑りはいつまで続くの?という状態でした。しかし痛いというより、摩擦で熱いっていう感じでした。
そして無事に(すでに無事ではないんですけど)止まったところで、そのままジッとしていたら、自転車の貸し出しをしている係のお姉さんが来て、僕を抱き起こしました。立ち上がってみたら、顔面の右半分から血がドクドクダラダラと地面に滴り落ちているのが目に入りました。「滴り落ちる」って言葉を生まれて始めて認識した瞬間でした。しかしまだ痛みはあまり感じていなくて、ひたすら「やばーい」と思っていました。


その自転車レンタルの会場の隅には、日除けのテントが設置されてまして、とりあえずそこまで連れていかれました。
自分ではパニックになっているとは思っていなかったのですが、それなりにパニック状態だったんでしょう。今でもそのやり取りはハッキリ覚えているのですが、
「大丈夫?ぼく、どこから来たの?」と、お姉さんに聞かれた僕は、「ハンバーグ」って答えたんです。意味ワカンナイ。ひき肉の国からやって来たのか僕は。
一応当時の僕を弁護しておきますと、知らない大人からの子供への質問って「好きな食べ物は?」とか「将来何になりたいの?」とか、定番があるじゃないですか。多分実際に問われた質問内容よりも、そのことが頭をよぎったんでしょうね。
あ、大人の人からの質問だ。答えなきゃ。えーっと、ハンバーグ。
自分でも自分の回答に、内心(あ、しまった!)と思いました。
しかしお姉さんはさすがに冷静で。
「あぁ、ハンバーグ好きなの?でも教えて欲しいのは住所、えーっと、お家の場所のことなのね」
ごもっとも。そこで自分では冷静だと思っているパニック状態の僕は「東京」って答えます。もうね、精一杯でしたよ。なんだか。
「東京は分かるんだけど、そのあとは?」そりゃそうですよねぇ。わざわざ地方からここに自転車に乗るために上京して来てる人も少ないでしょうから。


そんな言葉だけなら微笑ましいやり取りをしながら、お姉さんに連れられてテントまで辿り着き、救急セットで一応の手当てをされました。消毒の薬を塗りたくられたのですが、それが赤茶っぽい色をしていて、もう血なのか薬なのか分かんないやみたいになって。でも相変わらず痛みもそれほどなかったですし、皮膚がこそげただけで骨折などはしていないだろうということで、特に病院などには行かずに、そのまま帰りました。
翌日からいつも通り学校へ。もちろん一晩で綺麗なお顔に戻るわけもなく、顔面右半分がかさぶたに覆われた、なんともグロテスクな状態だったのですが、顔面の右半分だけ包帯を巻くなんていう面倒なこともせず、そのまま登校しました。
級友は誰も「どうしたの?」ってことは聞いてきませんでした。そりゃ聞きにくいですよね。土曜は普通に一緒に遊んでいたのに、週が明けたら顔面右半分がかさぶた少年になっているんですから。
ただ一人、隣のクラスの子が、僕の顔を一目見て「どうしたの!?」と訪ねてきました。
「んー・・・慣性の法則や摩擦やその他諸々の物理学的な要素に、僕の好奇心や向上心などの心理的な要因が複雑に絡んでいて、説明するには時間がかかるんだよ」
「へぇ、自転車に乗ってて転んだんだ」
「うん」


 おしまい