大勝軒メモ

一口に『大勝軒』と言ってもややこしい。

その要因は、中野(代々木上原)、東池袋、永福町、日本橋人形町)と、それぞれに『大勝軒』が存在するためである。
荻窪で開店した「丸長」から坂口正安が独立し、中野に『大勝軒』を開店。そこから本店を代々木上原に移し、中野(代々木上原)系統の『大勝軒』が誕生する。暖簾分けもされている。
坂口が代々木上原に移ったあとの中野店を任されていた山岸一雄が、暖簾分けをされて東池袋に開店した『大勝軒』は、山岸考案とされる「もりそば(つけ麺)」によって有名になる。この店が東池袋系統の『大勝軒』の始まりであり、暖簾分けもされている。
上記2つの『大勝軒』は、同じ「丸長」から派生しているので、どちらも「丸長大勝軒系」とされ、どちらもつけ麺で有名ではあるが、その味は異なる。
一方、永福町系『大勝軒』は、店名は同じながらも「丸長」とは関係がなく、つけ麺で有名なわけでもないが、暖簾分けもされている。
また日本橋人形町)の系列も「丸長」との関連はなく、『中華料理大勝軒』を本店としている。他の系統よりも『大勝軒』としての歴史は古く、暖簾分けもされている。
要するに、いっぱいある。